音楽遍歴 1970
いつも私のそばには音楽がありました
Never Make Me Cry
レコードやカセット
をデジタルデータにし直したり、整理して、CDレコーダーの
HDDに
ジュークボックス
代わりに・・・まさに掘り出し物の一曲、tuskは印象
に残っていたのですが、奥が深く、味わい深く、今、一番気に入っている曲。
雑魚
スワンプ・ロック
になるらしいのですが、これも
松平維秋さん
の影響だったと、こんな音楽・・・落ち着きます、癒される。その前に、(19歳でとありましたが)あのレオン・ラッセルとデュオを組んでいました。こちらは、知っていたのですが、
雑魚
は知りませんでした。ちなみに女性のボーカルはリタ・クーリッジ
ジャケット写真には、
雑魚
を捕る小屋が写っています。
はわい温泉
で有名な東郷湖にも、これと同じような小屋が在りました。こちらは、フナを捕るのだそうです。
カントリー・ロック
ニッティ・グリッティダート・バンド
滋賀県の
田舎
に行ったとき、空き地になぜか地下へ降りる階段が、地下には
POCO
という名の喫茶店が、
ポコ
が好きでその名にしたらしい。階段の謎は、音楽喫茶を作るに当たって、大阪に研究に行ったとき、ほとんどの店が、地下に在ったので、それにならったと言う事でありました。それにしても
カントリーロック
はおおらかですばらしい。
サン・オブ・カクタス
私も青春していた時期で、格 好がいいと思って聞いていました。(内緒の話ですが、今でも少 し思っています)
Ian Matthews
それまでヒット曲しか聴いていなかった私にとって、ビート・ オン・プラザで聴いたこの曲は、聞いたこともないジャンルの アーティスト。でも耳なじみは良い。今まで知らなかった音楽 の聖域に出会ったような気がした。
ブルースロック,サザンロック
心斎橋のメイゾン・エルという店が在りました。
ウェイトレスが、すべてモデルという噂でしたが、
その店は、音楽喫茶でもあり、よく通っては、レコードを
かけてもらい、友人は
オールマン・ブラザース・バンド
、
私は
デレク&ドミノス
をかけてもらって、喜んでいました。
ビート・オン・プラザとの出会い
その頃の私は、自分の買ったシングル曲を、当時、
みのもんた
さんがDJをしていた
『オール・ジャパン・ポップ20』
でのベストテンを友達と競っていました(大穴での勝利はオリジナル・キャストのオー・ミスターマンデー)。それが、FMラジオつきステレオを買ってもらい、聴きだしたのが
「ビート・オン・プラザ」
というFM大阪で月曜から金曜まで18時~19時まで話題の洋楽アルバム全曲をノーカットで放送する番組でした。短い間でしたが、DJだった
松平維秋
さんの紹介するアルバム・アーティストの
うんちくのある
説明、サウンドのすべてが新鮮で魅力的でした。毎日、かじりついて聴いていました。その中でも、もっとも心惹かれたのが、イアン・マシューズでした。その後、マシューズ・サザン・コンフォート、サザン・コンフォートとも新旧含めて、ライブラリーへの追加が続いています。
1970-Ⅱ ハードロック,伝説のロックコンサート
技巧派のブリティシュ・ハードロックのレッド・ツェップリンとおおらかなアメリカン・ハードロックのGFR 世はブリティシュの圧勝!私は引き分け
行きました。伝説のロックコンサート、大阪球場野外コンサート、稲妻をバックにヘリコプターでグラファンが登場!!
1970-Ⅰ フォークロック
ふたつのウッドストック
バッファロー・スプリングフィールドなどのアメリカン・フォークロックとフェアポート・コンベンションやペンタングルなどのブリティシュ・フォークロック CSN&YとMSCでの同じウッドストックの聞きくら
べがおもしろい
ビートルズ解散
ビートルズ解散後、取って代わるように、ヒット
チャートの上位にプログレ ッシブロックと呼 ば
れたハイテクサウンドが・・・ 衝撃的だった!
やっぱり ビートルズ
聴きだしは、後期のビートルズ! 後に一通りのアルバムをコレクション
はじめて買ったアルバム
当時、明日に架ける橋がヒット中のサイモンとガーファンクルの、その名も
ギフトパック
というものを、
クリスマ
スプレゼント
として、自分に買いました。
はじめて胸ときめいた音楽
初めて買ってもらったラジカセから流れてきた小気味よいリズム
ポール・ロジャース率いる
FREE
のオールライト・ナウ
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